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不安などの心の問題

再発・転移の不安

11年経っても再発の恐怖は常にある。

再発しないとは言いきれないと言われショックだった。再発の恐れと内臓の手術と違って外観が変化してしまったことに対して、自分自身を受けとめられないことをひた隠しにして元気ぶっていることが辛かった。

1番は再発の不安。夜になると眠れず将来への不安が大きい。再発の宣告が恐くて、体調が悪い時でも担当医に十分相談ができない。再発の不安から漢方薬など飲用してしまい、費用がかかる。心のケアのできるカウンセラーが欲しい。

再発・転移に伴う動揺やつらさ

ちょうど2年目に肝臓に2cmまでの転移と診断され、すぐにあと命はどの程度かと考え、体が震えて2、3日「死」との考えでボーっとしていた。初期なので治るという話で手術したが、間違いだったのか、治療について勉強するべきだった、医師から説明を聞くべきだったと反省した。

治療の効果が目に見えてあり治ってしまうのではという期待感でいっぱいだったが、またがんが活動を始め、やはり治らないんだと実感し最初の告知以上にショックを受けた。

軽く転移もないと言われ、抗がん剤を打ち薬も服用していたのに、突然肺に転移しているといわれ「何で」と思った。頭にも腫瘍ができていたと言われ、とても落ち込み悩んだ。

見通しのつかない未来に対する漠然とした不安(治療や身体のこと)

胃を半分ほど切除し、その後胃が快復するのに時間がかかる、半分で食事できるのかと心配だった。

咽頭手術と聞かされ話ができなくなる、風呂へ入る時の不自由、味覚、嗅覚の喪失を思うと不安になった。

すぐに死に至らないとしても、自分の身体、特に顔はどうなってしまうのかと思い悩んだ。

見通しのつかない未来に対する漠然とした不安(経済面・社会面)

薬局を営んでおり、自分が入院すれば店は休まなければならず、収入がなくなるし、経済的なことで悩んだ。

母が体調を崩し入院し、その退院の日に自分のがんの診断を受け、経済的に父に負担が全部くるのではないかと悩んだ。

子どもたちの今後の生活、妻の生活環境の変化が心配になった。

身体の状態や生活に対する漠然とした不安

術後は元気を回復して日常生活に不安はないのかと心配だった。

術後リハビリ体操をしていたが、右手が上がらず正常な生活ができるようになるか悩んだ。退院直後ひとり暮らしのために、家事一切ができないのではと困った。

胃の一部を残す予定が全摘となったことでショックを受け、術後の体調や、以前との生活の変化について悩んだ。

知識不足による不安

がんについての知識が不足していたため、自分の病状を客観的に捉えられず、死に対する恐怖や今後の治療、手術が恐く、病院や医師選びが正しいか、任せていいかと悩んだ。

がんについての知識は皆無で、告知、手術と告げられても治癒の可能性あるのか、手術は危険度が高いのか、病状の進行度はどの程度なのか、後遺症はどんなものか、余命はどのくらいなのか等の不安と悩みに平常心ではなくなった。

もう少し自分の病状を認識し、建設的な方向に目を向けられれば良かったのにと思う。

別のがんによる不安

現在のがんとは別に、大腸がんの疑いありと言われ、検査をしていることが悩みだ。

子宮がんは初期のため抗がん剤も放射線治療もせず自宅に戻れたが、1年経たずに腹が痛くなり結腸がんが判明、再び開腹手術するとは思っていずショックだった。

複数の原発性がんが連続して見つかり、同時に外科手術を行えないため、摘出根絶ができないことから、将来に不安を持った。

死を意識

いつまで生きていけるのかと悩み、1人でいるときには自然と涙が出てきた。

自分はどのくらい生きられるのか。もしかしてこのまま本当に死んでしまうのか等。毎日毎日、死の恐怖に押し潰されそうだった。

ただ開き直って生きる考え方が私の心の中で定着してきているが、やはり明日の生命はどうなるかということが心配。

がんを意識

手術をし、腫瘍マーカーが下がって1年後に再発。抗がん剤でマーカーも基準内になり、一息したあと再度マーカーが基準の10倍になり、現在に至っているが画像では大きな点は見いだせずマーカーで一喜一憂することに少々疲れている。

体がなにかすっきりせず、すぐに疲れ、ちょっとしたことでがんではないかと思ってしまう。

体の具合が悪かったり、手術した箇所が痛んだりするたびに、もしや再発ではと不安感が募り、主治医に体の不調を伝えても安心できる言葉が返されずに、更に不安が大きくなった。

がん告知(再発・転移・進行の告知を含む)による精神的衝撃

頭が真っ白になって、何歳まで生きられるのか、どんな食物が「がん」によいのか、何で私がこんな病気になるのかと悩んだ。いつ再発するか不安。

青天の霹靂のようなショックを受けた。希望がなくなりつらかった。毎年人間ドックを受けていたのになぜ手術ができないとまで言われるのか、医者にも毎月定期的にかかっていたのになぜそうなったのかと悩んだ。

がんイコール死ぐらいの意識しかなかったので、告知を受けた時はとてもショックだった。絶対がんにかかる訳がないと思っていたので「どうして私が」の問いの繰り返しだった。告知後の何日間、自分がどんな行動をとっていたのか、思い出そうとしても覚えていない。

がん罹患後の精神的不安定感

前向きに生きようと思うが、入院の際、同室だった方が亡くなると、ものすごく孤独感に襲われることがありとても恐くなる。

何をしていてもがんという文字が頭から離れず、心から楽しめない毎日である。

時々深夜眠れず、自分の心や体を見つめ感じとる時がある。その時なんとなく、何かがひしひしとしのび寄ってくる気がして急に不安になり、全身から汗がふき出ることもある。精神的なものか、これが悩みである。

持続する精神的な不安定感

入院の頃、全てが初めてなので手術や入院等、自分がパニックにならないかと心配だった。抗がん剤と放射線治療中、何をしても泣けてきて涙が止まらない状態になってしまって困った。

自分のこととして受け入れられなかった。しばらく経ち、逆に受け入れた気になって恐怖や怒りを自分の中に押さえ込んでしまい、不安定になった時もあった。

ちょっとしたことがストレスになり、ドキドキしたり気分が暗くなったりした。

社会的な要因による抑うつ

3番目の子どもを産んだ4年目で働くことができなくなり、住宅ローン、治療費の支払いに追われ、また3番目の子どもに障害のようなものを感じ、すべてが心配で自分を責め、追い込み、うつ病となった。今も薬が離せない。

子どもが大学生で私が家計の一部を支えていた時期だったため、このまま体力が戻らず、職場にも戻れなかったらどうなるのか心配でうつ病になり、約1か月精神科に入院した。

パニック障害になり、心療内科にかかっている。職場復帰への心配が大きかったことがストレスとなったようだ。

身体的な要因による抑うつ

何で私だけがといううらみや怒りと闘い、一人になると泣いていた。不安感からうつと不眠が続いた。

自分は強い方だと思っていたが、ショックでうつ状態になり、家の外へ出られない、本も読めない、涙も出ない、眠れない、自分がこの先どうなるか不安と残された家族のことが心配、手術後の傷の痛み、毎日をどう過ごすか何もやる気がしない、食べられない。

落ち込んでしまった時(体調がしんどい時)、家族や友人たちに迷惑をかける自分が嫌になる。人の役にたたない者が生きていて良いものだろうかと、うつ状態になってしまった。

希死念慮

不安で不安で自殺も考えた。

手術で痛い思いをしてもどの程度治るのかわからず、入院してから、9階の窓から飛び降りたらいっそ楽になるのではないかと考えたことがあった。

急激に気分が落ち込み、自宅で療養中であったが、部屋にじっとしていると自殺のことばかり考えてしまった。