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家族・周囲の人との関係

がん罹患に伴う周囲の反応に対する思い

乳房切除後、人の視線に不快を感じることがあった。心配して「体、大丈夫?」との言葉に対してもそのことには触れないでと叫びたい気持ちだった。

がんという病気が社会的に理解されておらず、健康なときには言われなかった「無理しないで」「大丈夫」という言葉を頻繁に言われる。

近所の人達から色々聞かれ、どの程度話すべきか悩んだ。健康食品など勧められるが治療中に使用してよいかどうか。品質・値段など不安。

友人・知人・近隣との付き合い方

近所の人や友人に、がんのことは話していないので旅行にも行けず、いつそのこと話そうかと悩んでおり、年を取るごとにその悩みは大きくなっていく。

近所づきあい等で、体重の減少など身体的な変化をどう説明したらよいものか悩む。

友人、知人への伝え方を悩む。がんときいてどんな反応が返ってくるか恐い。

社会からの孤立

死に対する恐怖や療養生活の不安、絶望感、社会復帰の不安などを具体的、医学的に相談できる人がいないことがつらかった。

1人暮らしなので、入院すると自宅を閉めきりになり、一般世間との付き合いが遮断され、情報や交際に支障をきたすことが苦になった。

話し相手もいない1人暮らしは寂しい。

社会生活への影響

食事が思い通りにいかず、外食が困難なのでいろいろな会合に出られない。

歯の関係上発音が思うようにできず、これまでのようにいろいろな集会や語り合いに進んで出ることができなくなった。

県のシルバースクールに通学していたが、4か月の入院により通学ができず出席単位の不足で留年すると言われてしまい、余計に落胆した。

今後の社会生活への不安

将来社会復帰できるのだろうかと心配した。

手術後、体の変化、機能制限、化学療法の副作用がでており、職場復帰、社会復帰はできるのだろうかと悩み、社会からはじき出された役立たずなんだと自分を責めた。

現在1人暮らしなので、これからのことが大変心配だ。家は自分のものだが土地が借地で、子どものところに行くか、子どもも借家なので、先々が心配だ。

地域との関係

いろいろな役職を受けていたので辞職し、後任の人を選ぶのに苦労した。

入院生活が必要となったので、子ども会会長の仕事を主人1人に任せられるのかと悩んだ。

同病者との関係

同じ病気で手術された方や治療をされている方とその時々の体の具合、日常生活等について話をしたり愚痴を言いたいと思った。

入院中、親しくなり、つらい手術や治療を分かり合えた人達が次々となくなってしまい、今では誰とも会えなくなり悩みや苦しみをなかなか言えなくなってしまってつらい。

深刻な状況にある患者仲間に接する時に相手の心情が分からないことで悩むときがある。

社会におけるストレス増

仕事の中での人間関係が大変で、ストレスの中心に生きている毎日で、早く人生を終わりたいと希望している。

職場や人間関係などの対応が病気以前のようにできないように思い、仕事に出て行けない。親しい間柄を除き人間関係の対応が苦痛で重荷に感じる。

家族の中の不協和音、人間関係のストレスなど、解決策が見つからず悩んだ。

情報・メディア

医師から受けた治療法を信じていたのに、他の人の違う話や体験談などで聞きたくない正確でない情報が耳に入り不安になることがあった。正しく安心できる情報が少なかった。

最初の頃新聞の記事やテレビなどの情報で余計不安になることがあった。

手術から8か月が過ぎ、数値も安定しているが、新聞・テレビ等でサプリメントがよく掲載されており、惑わされやすい心理状態にあるので、こうしたものについてはっきりと知りたい。

配偶者に対する気遣い

不治の病気であることは知っていて、死を覚悟していたが今までわがままに生きてきて、妻を大切にしていなかったことを悔やんだ。

妻が足が不自由になってきていたので、自分が入院中、1人で暮らせるか心配だった。

夫は仕事、自分の趣味以外のことは何もできないので、親戚や近所、地域の付き合い、家屋や田畑の管理などの日常生活の心配があり、設備や器具の修理の連絡先や購入先など全ての連絡先表を作った。

配偶者との関係性の変化

夫婦間でお互いに気を遣いすぎて毎日ぎすぎすしてくるが、そのことについて話し合おうとしても取り合ってもらえず、内にこもり生きている意味は何なのかと思い悩む。

術後だんだん夫の態度が冷たくなり、夫婦間に溝が深まり、離婚も考えたが子どものために我慢して生活している。

がん告知の時から生活を共にしている夫とのずれは感じていたが、再発により大きく崩れ決定的になり離婚した。

配偶者への不満

どこか少しでも具合が悪くなると、再発や転移したのではと考えてしまう不安を夫は理解してくれない。

のど元過ぎればのごとく夫はもう私の体は治っていると思っている。仕事にも出ているが体の無理はきかないし、経済的な負担が非常にストレスになっている。

夫と性的関係を持ちたくないのに夫は理解してくれない。

2人目をあきらめるという決断をするのに、主人は2人目を産めない負い目は理解してくれても、女性の心理は分かろうとしてくれず1人で決断しなければならず、つらかった。

夫婦そろっての病

主人ががんで入院中だったので、世話をしてあげられなくて悲しかった。

術後の抗がん剤投与で退院した頃、主人が血液がんの苦しい治療に入っていたので、自分の療養どころではなく、看病と2人の治療費に悩む。

がんと診断された時、身体障害者の主人を抱えとても大変だった。前日に主人を入院させてから自分が入院した。

配偶者への告知

末期がんと告知され、夫にどのように理解させるかが1番悩んだ。

一人で告知を聞いたので、夫や子どもに病気のことをどのように話したら良いだろうか、話した後どんな態度をとったらよいだろうかと悩んだ。

がんと診断され、夫は病気に対して神経質な人なので、どんな言い方で伝えたらいいのか気を遣った。

家族に対する気遣い

私を頼りにしている、年老いた自分と夫の両親より先に逝くかもしれないことが不安だ。

最悪の場合再発し、家族に経済的な負担はもちろん、もしもの時、残される夫と別居中の長男夫婦との折り合いについて心配した。

夫と息子が糖尿病を患っており、もし再発した場合、あとに残る家族が心配で、そのことばかり考えてつらい。

家族との関係性の変化

家族の人間関係で悩んでおり、姑のことで苦しくてならなかったので、そのせいで病気になったと思ってはならないと自分に言い聞かせることがつらかった。

5年前から夫の両親と同居しているが、自由な時間がなかなか持てない。両親が幸い元気なので、別居できたらストレスがたまらないのでそうしたいと思う。

社会復帰をせずに自宅にいて家の周りの片付けなどしていて収入もないので、家族の中で自分だけ働く場所がなく何かにつけて引け目を感じる。

家族への不満

家族と私の心の支えの考え方に違いがあり、精神的な支えになってくれず、独りぼっちの気分が強かった。

女性の場合、自分ががんと告知されても、家事や日常生活の問題を第1に考えなければならない悲しさを感じた。

治るか否かで、本人と家族の理解度が違い、葛藤があった。

家族との別れ

残される家族への愛着があり、夢が現実か明日の生死の不安があり不眠になっていた。

初めて自分が死ぬかもしれないと分かったとき、頭が真っ白になり、子どもや夫と別れたくないと思い泣いた。

残された時間が気になり、家族への思いが不十分だったことを後悔した。

家族への告知

がん告知を家族に伝えるのに、父が老人保健施設に入所していることもあり母には特に伝え難く入院1週間前まで言えなかった。

子どもたち、老母に病気を伝えるか否か悩み、受験期の子どもの自由を奪わないように、母にも心配をかけ気を遣われるのが嫌で結局話さなかった。

父や義母など身内をがんで亡くしているので、母にまた父のときの不安を思い起こさせることが不安で、何と言ったら良いか恐かった。

子どもに対する気遣い

手術後抗がん剤の副作用で髪が抜けかつらを使用していたが、子どもの友達が気がつき、子どもに尋ねないか、自分のせいでいじめられないかと心配だった。

子ども達がとても小さかったので、子どもたちのこと将来についてとても不安だった。

子どもを最後まで責任もって育ててあげられないのかと悔しさと悲しさでいっぱいだった。

子どもとの関係性の変化

子どものことが心配で、当たり前の世話などのことができないことがつらい。

子どもの学校のことや行事に出られなかったり、子どものためにできることが徐々になくなっていくような気がしてとても悲しい。

子どもが小学校に入ったばかりで、行事に出席できずつらかった。

子どもの世話と治療のバランス

子どもたちの受験と手術が重なり、自分のことより周りが忙しく気が休まらなかった。

子どもへの告知

中学生の子ども2人にがんと伝えたときはとてもつらかった。

子どもに病気のことは話していないので、どのように説明をしてあげたらよいか悩んでいる。がんイコール死と理解しているので話せないままでいる。

子どもに病気のことを聞かれるのがつらかった。かつらがばれてしまい、子どもを抱きしめて話をした。

妊娠・出産に関する不安

常に妊娠について悩んでいる。発病後1年で結婚し、子どもが欲しいと強く思い始め、友人や姉の子どもがうらやましく思う。ホルモン注射が終わったら、自分の命と引き替えにでも赤ちゃんが欲しいと思う。

結婚を控えているが、がんとパートナーに知られたくなく、子どもが産めるかどうか心配だ。

再発してしまい、子どもをほぼ諦めなければならないと感じた時は悲しかった。